boyaki

一介のオタクが感傷に浸る為のblog

ほんとはずっと泣きたくなかった

8/7の日記を見て改めて思ったことは、なんだか疲れてるなということだった。事実疲れていた。過去の日記はSAN直葬トリガーだって相場が決まっているでしょう。

 

馬鹿なことをしたなと思ってはいるけれど、やはり後悔できないのは、それによって自己理解が深まり主軸がブレにくくなったからだ。

依然として1日の間に躁と鬱を行き来しているような人間だけれども、そんな些細な軸のはなしではない。もっと根本的な生き方である。

あのあと何日にも渡って脳がヒートしつづけ、食事も困難になり、体重が激減し、夢を覚えるようになった故に悪夢を記憶したまま起きるという、なんというかあまりよい状態ではなくなったけれど、それを差し引いてでも主軸があるというのは心強くて良いことだと思った。今は食事はとれるようになりました。体重戻し中です。

 

で、まあ話を冒頭に戻すのだけれども、当時のわたしはまあ泣いていた。子供みたいに鳴咽をあげて泣きじゃくっていた。一人で。

それがたぶん気持ちよかったんでしょうね。人前で弱音を晒すことも、一人で静かに泣くこともあったけれど、わたしはそれをタブー視していたので、人前で散々弱音を吐いてわんわん泣いていたのがたぶん気持ちよくて、そんな自分をどうにかこうにか肯定したかったのだと思う。

 

今見るとやめてくれって感じですね。

 

当時のわたしも本当はやめてほしかったんだと思いますね。後半の記述がそう物語っているから。

強くなりたくて幸せになりたくてでも泣きたかった。

わかるよ。

でも人前で泣きたくないから創作に縋りたい。

すごく、わかるよ。

 

不思議なことに、そう、思ったはずなのだけど、今は結構人前で泣いている。比喩です。人とお話して人に頼るのがそこまで精神的負担では無くなってきているんですね。甘えるのが、すこし上手になりました。

 

創作で地獄のような話を書いて発散してしまおうかと思っていたんだけども、もうその必要は無さそうだなと思っている。

なんにせよ、たびたび言ってるけれども、わたしはみんなにも幸せになってほしいんですね。そしてわたしは自分の作品の見え方や伝播の仕方をある程度自覚してるんですね。たぶん、人の心をべこべこに折る漫画を描いたら、たぶんそういうのが苦手なひとも注意書きをスルーして読んでものすごくショックを受けるんだろうなって知ってるんですね。これは過去にもあったから今後もあるだろうなというのが根拠の理由です。

ハッピーエンドを模索していた代償だな。

 

けれどハッピーエンドを模索しつづけていた恩恵も確かにあるんですよ。おかげでわたしはポジティブ変換が年々得意になってきました。

 

やっぱり、もう人前では泣きたくないですね。そういうのはわたしと、わたしを知ってるほんの数人が知っていればいいんですね。

 

強くて楽しくてhappyなわたしを見せていきたいなと思いました。決意改めです。おしまい