boyaki

一介のオタクが感傷に浸る為のblog

 

人間です。

わたしというイキモノは大変影響を受けやすく、好きな作家のエッセイを読みながら「ああブログが書きたい」という衝動に駆られ、その衝動ままにこうしてキーボードを叩いている。

 

まあそんなことを言ってはみたものの、本当は前からやりたかった。ぼんやりと頭の中に構想があった。ただ、やる意味が無いなと思って毎回頓挫していただけで、今日、意味など無くたってやりたいんだという感情が動き、めでたくブログ開設である。なにがめでたいと言うんだ。

 

自己紹介をしますと、わたしはフィクションと人間の感情をこよなく好み、絵と文章で表現することが好きな、一介のオタクです。それからツイ廃でもある。

ツイッターがリリースされた頃、わたしは既に取り返しのつかない程のオタクであって、そんなわたしにツイッターというツールはびっくりするほど性に合った。好きなアカウントをフォローして、ぼんやりタイムラインを眺めて、自分もぽつぽつ投稿していく。それらは基本的に流れ去ってゆく。儚くて流動的なツールだった。なんというかそれが、妙に自分の性質と合致したらしく、気がつけば幾多のアクティブアカウントを使い分けるツイ廃になっていた。そして唯一の取り柄であった視力はガタ落ちした。無意識にツイッターを開くほどなのだから当然である。今いちばん恐ろしい単語はブルーライトかもしれない。

 

今持っているツイッターのアカウントは、絵を上げるアカウントが2つと、小説を上げるアカウントが1つ。サブ垢として、動物を愛でるアカウント、好きな小物や風景を愛でるアカウント、日常アカウント、それから雑多にぼやぼやボヤいていくアカウントがある(ほかにも非アクティブアカウントは存在するけど、ほぼ稼働していないのでノーカンにしておく)

この数は自分でもちょっとどうなのかな、と思わないでもないが、かなり居心地が良くなったので、別にいいかとツイ廃脱却を諦めた。誰に迷惑かけているわけでもなし。整理整頓が大好きな自分にとって、こういう活用の仕方は、なんだかすごくスッキリして心地よかった。

そう、わたしは整理整頓厨だった。

冒頭に「人間です」と自己紹介したのだけれど、これには理由があって、わりと最近までインターネット上で二次元ムーブをかましていたからだ。なるべく日常ツイートを避け、生活がわかるような写真をかたくなに上げず、二次元のキャラになりたいのだと言っていた。

その割には生活を匂わすツイートをしてしまって、我ながらなんでだろうと思っていた。

で、写真を上げるためのアカウントを新設して、やっと気付いた。べつに二次元キャラになりたいわけでは無かった。絵を上げるアカウントのメディア欄に、写真があるのがイヤなだけだったのだ。

写真を上げるアカウントに投稿したものを、メインのアカウントでリツイートして見てもらいたがっていたら、二次元になりたいという主張は綺麗さっぱり消え去って、逆に人間なのだと主張するようになった。正直この変化は我ながら面白かった。今でも面白いと思っている。

つまり、アカウントのメディア欄に上げるものを統一したいという欲求が根底にあって、それに無自覚であったため、別の主張によって理由付けしていたという話だ。

それに気づいてからはアカウント分けが加速して、今は整理整頓厨のツイッター廃人を名乗っている。住み心地がよすぎる。ただ私は飽き性のきらいもあるので、きっとこれも長くは続かないような気がするし、その予想を裏切ってずっと続けるかもしれない。長年続けられるのであれば、まあそういうことだったのだろうな、と未来のわたしが思うんだろうな。

 

そういうふうに、未来のわたしが今のわたしとの差異を楽しむためのツールが欲しい、というのがブログ開設の本来的な理由であって、だからこのブログでは自分の思うことや現状をつらつらつらつら語っていく、未来の自分のためのブログということになります。インターネットの海に放出しておいて、あまり他人が読むことを想定していない。

誰に読まれなくたって自分語りが好きだけど、ツイッターでは流れていってしまうから。だけども個人的な日記やノートをつけるにはどうにも続かなかったから。中間を取って、ブログ。いや〜めでたいな。なにがめでたいって、自分の頭がだろうよ。