boyaki

一介のオタクが感傷に浸る為のblog

スーパーウルトラバスタイム

昔から風呂が好きだった。昔といっても子供の頃の記憶はあまり無いのだけれど、少なくとも高校以降ではハッキリと風呂に入るのが好きだなと自覚していたはずだ。

わたしの実家では毎日風呂を沸かせていたので、毎日湯船に浸かることができた。ただ家族の人数も多かったので、すこし浸かってゆっくりしたら、すぐに出ていた。今思えば、すごく贅沢だったなと思う。

 

 

一人暮らしをしていると、風呂には中々入れない。だいたいシャワーで済ませるようになった。

単純にガス代水道代が嵩むことと、水の消費への罪悪感と、あとは作業をしたい日が多いので必然的にカラスの行水になってしまうのが主な理由だ。

だから、サッと入ってすこし浸かるだけで出る、実家ならではの方法はもう叶わないのだなと思う。

 

それでもわたしは今の環境のほうが好きだ。というより、昔よりずっと風呂が好きになった。

誰にも気を遣わずに、好きな時間に好きなだけ入ることができて、好きなバス用品を使えて、のんびり鼻唄だって歌えてしまう。そんなバスタイムが好きで好きでたまらない。明確に、わたしの憩いの時間だと認識している。

たまには温泉だっていいけれど、それでも、わたしは家でひとりで堪能するこの時間のほうがうんと好きだって思う。

 

 

風呂に浸かる日のほうが少ないので、浴槽をていねいに洗って、なみなみとお湯を張る日は、必然的に時間の余裕がある日となる。今日はもうのんびり過ごそうと思う日は、まず風呂の支度をする。

お湯を張って、お気に入りの入浴剤を落としたら、水のかからない位置にキャンドルを灯す。風呂場のドアの外に音楽プレイヤーを置いて、あらかじめ曲をかけておく。これは聴き馴染んでいて脳裏に歌詞が浮かぶものがよく、ゆるやかな音楽だともっとよい(結果的にそういう曲は限られているのでついにバスタイム用のプレイリストを作った)

これで、お風呂に入る準備は万全となる。

とりあえずふつうに全身を洗ったら、あとはもうのんびりするだけの時間だ。

ドアを開けて、音楽を浴室に流す。ついでに電気も消してしまって、キャンドルのわずかな灯火を眺めながら、ゆったりと湯船に浸かる。だいたいスローテンポの曲がかかっているので、ちいさく寄り添うように歌っている。ゆるやかな音楽と、ゆらめく橙と、全身を纏うあたたかなお湯が、わたしのこころをどこまでも幸せにしてくれる。誰にも邪魔されず、誰からも傷つけられず、ただただ心地いいこの時間が途方もなく好きで、わたしは風呂に入るたび、これを永遠にしたいとさえ思う。風呂の時計は初期化されたままで、いつでも0:00を指している。

 

 

ひとつだけ困るのは、この時間にたくさんの考えごとをするのだけれど、それを書き留められる環境ではないことだ。おそらくやろうと思えばできるのだろうけれど、きっとその支度をすると、いまのようなバスタイムでは無くなってしまうに違いない。それは困るので、ああ書き留めたいなぁと思いながら、ただただわたしの中に思考を積み重ねていくのだ。

そういうわけで風呂から出たわたしはすっかりポエミーになり、こうして語りたい欲求を発散させることになるのです。今日はのんびりしようと思っていたから、それでいい。おやすみなさい。よい夢を。